とある人間のブログ

人間が人間に読んでもらうために書いた文章です.

漢字のつかいかた

今日ミルクティーを飲みまくっていたのだけど、最初にミルクティーをつくった人はすごいなあと思った。その人は何を考えて紅茶に牛乳を入れたのだろう? ミルクティーという概念がないのに、それをやってみる勇気はすごい。僕も概念をつくる人になりたい。

概念をつくる、と書いて思ったけれど、僕は「つくる」と平仮名で書くことが多い。つくる、という単語にはいろいろな漢字があって、iOSの変換に出てくるものだと、作る、造る、創る、告る (?)、付る (?) がある。こうして並べてみるとあんまりなかった。

「造る」と「創る」の雰囲気はだいたいわかる (わかる、も平仮名で書くことが多い)。前者は建物っぽくて、後者はオリジナリティーあふれるものっぽい。さっきの文脈だと、「概念を創る」になるのかなあ。

いちばん一般的なのは「作る」で、建物とかオリジナリティーとかいうイメージをつけなくないときにこれを使うのかもしれないけれど、よく考えたら工作という単語があるし、これだとのりとはさみで (別に他の道具でもいいけど) つくっている気がしてきてしまった。


相対論の先生に勧められた有名な本[1]には、漢字を使いすぎるな、と書いてあった。例えば、必ずしも使う必要の無い所にも漢字を用いていると見苦しくなる。いまの文だと、「例えば」「必ずしも」「無い」「所」「用いて」は平仮名にしても違和感がないような気がする。実際、

たとえば、必ずしも使う必要のないところにも漢字を用いていると見苦しくなる。

とした方が (僕は) 自然に読める。「必ずしも」「用いて」を漢字のままにしたのは、あまり漢字を減らしすぎても気持ち悪い文になるからだ (そもそもこの文で「漢字じゃないと本当にやばい」のは「必要」「漢字」だけで、それ以外の単語は単独なら平仮名で書いてあっても幼稚な感じはしないと思う)。

で、僕としては上で書き直したやつくらいがちょうどいいように思っていて、普段からそれくらいのバランスで文章を書くようにがんばっている (いない)。

[1]には「自分の漢字の使い方のルールをつくれ」とあった。原則として「たとえば」は平仮名で、「必ずしも」は漢字を使う、というようなルールだ (「原則として」と書いたのは、あまり平仮名ばかりあるいは漢字ばかりになっても変なので、前後のバランスを見て適当に調節するという意味)。

それで僕は「つくる」「わかる」は平仮名で書くようにしているのだけれど、そもそもこういうルールを完全に覚えておくのは難しいので、何かGoogleアカウントみたいな端末間で共有できるものにそのルールを学習させて、文字を入力するときに教えてくれるようなシステムがあったらいいのになあ、と思った。だれかつくってください (探せばあるのかも)。 (終)

[1] 木下是雄. 理科系の作文技術. 中公新書, 1981.