とある人間のブログ

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民族音楽の表現

人前で音楽をやるとき、演奏技術というのはとても大事だ。対価としてお金が支払われるような演奏会ならなおさら。

ぼくは大学でフォルクローレという南米の民族音楽をやるサークルに入っていて、そこで人前で演奏させていただく機会があるのだけれど、その演奏についてちょっと思うところがあった。

フォルクローレ、というか民族音楽って、祭のようなシチュエーションでみんなで騒ぎながら演奏する、というイメージがある。
というか音楽というものがそもそもそういうところから生まれたような気はするのだけれど、こんにちフォルクローレと呼ばれているジャンルの音楽は、クラシックやロックなどにくらべて、そういう側面が強く残っているように思う。

そういうフォルクローレという音楽では、どういうものを求めて演奏するなのだろう? という話。


クラシックの演奏会では、演奏技術というのはとても大事だろう。
もちろん演奏家ごとに異なる表現とか演出とかがあるのは全然かまわないのだけれど、いちおう決められた楽譜というものがあって、それにしたがって演奏することに変わりはない。高いお金を払ってクラシックを聴きに来る客は、もちろん「うまい」演奏を期待している。

ロックのライブだとそこまでの演奏技術というものは求められないような気がする。
クラシックだと音程、リズム、音のタイミングのようなものはかなり厳格に決まっていて、これを軽視することはできない (もちろん他にもっと重要なことはあるけれど、これらの要素がある程度の比重をもっていることは確かだろう)。

けれど、ロックのライブでボーカルの音程が多少低かったり声がかすれたりしても、あまり気にする人はいない (でもオーボエのソロがかすれたりしたら、あっ…と思うよね)。
ぼくはそういうタイプの音楽をやったことがないのでよくわからないのだけれど、クラシックとロックは同じ音楽でも、求められているものがちがうのだろう。

まあでもクラシックやロックのコンサートと祭でやる音楽には、決定的な違いがある。前者は人のパフォーマンスを見るもので、後者はみんなで一緒にパフォーマンスをするものだ。

異論はあると思うけれど、ぼくはこの前者は「芸術」で、後者はまだその域に達していない「文化」なのだと思う (後者が前者とくらべて劣っているとかいう話ではない。そもそも価値をくらべるようなものではないと思う)。

(このあたりで思考がおかしくなってきて、以下の議論はめちゃくちゃです)

クラシックやロックという音楽は、「芸術として完成された音楽」なのだろう。一方で祭の音楽は「文化の側面としての音楽」だ。前者は後者が発展して生まれるものだけれど、ある意味では文化から独立しているといえる。


で、フォルクローレの演奏会っていったい何なのだろう、と思った。
クラシックやロックと同じように舞台に演奏家が立って、場合によってはお金を払った客が静かにその演奏を聴く。こうしてみるとフォルクローレも「芸術として完成された音楽」としてあつかわれているように見えるのだけれど、聴衆が求めているのははたしてそういうものなのだろうか? と悩んだ。

クラシックやロックのような「主流の」音楽ではなくて、民族音楽という微妙な (?) ジャンルの音楽を聴きにくる人々は、やっぱり普段とはすこしちがうものを求めているのだろうと思う。
フォルクローレがクラシックやロックと異なる点って、やっぱり現地の素朴な祭 (に限らないけれど) の雰囲気を残しているところだ*1

だとしたら、そういうところも含めて演奏してやった方がいいのかなあ、と思った。金をとって聴いてもらうという点では芸術なのだけれど、それと同時に「かつて文化の側面であった」ことを表現したほうがいいのかもしれない。

というか、クラシックやロックだってそうだ。それぞれの音楽がそれぞれの文化からはじまっているのだから、その「芸術」の中で「かつて文化の側面であった姿」を表現してやるべきなのかもしれない。
だとすれば、クラシックにおいては厳格な演奏技術が、ロックにおいては (よくわからないけれど)「ライブ感」というものがそれにあたるのだろう。

ここまで書いてきて自分で勝手に解決したのでそろそろ終わるけれど、じゃあクラシック以外の音楽は演奏技術を求めなくていいのか、と言われるとそれは違うと思う。
ある程度の演奏技術、というのは音楽が芸術として完成するために必要なのだ (クラシックではさらに文化のなごりとしての厳格さが上乗せされる)。
最初にも書いたように、人前で演奏をする以上、ある程度の演奏技術はないといけない。そしてそれこそが、芸術としての音楽のひとつの特徴なのだ。

だから「舞台でやるフォルクローレ」では、文化のなごりとしての素朴さと、完成された芸術としての演奏技術を両方求めなくてはいけない。もともとクラシックをやっていたぼくは後者についてはわかる (わからない) けれど、前者はどうやったらいいのかわからない部分がある。

もっと努力が必要だなあ、と思った。 (終)

*1:冷静に考えれば、クラシックやロックのような音楽が世界の主流であるからこう思うだけなのかもしれない。